主人公が見た風景

法善寺の狭い境内には線香の煙が立ち込める。
境内のすぐ脇には、「夫婦善哉」の赤い提灯がぶら下がっている。
法善寺のすぐ横にあるぜんざいの店、夫婦善哉。
「めおと」の意味で、一人前で二つの小さなお椀が出てくる。

織田作之助 「夫婦善哉」
大阪・上町台地の一角の長屋で生まれた織田作之助は、

大阪をこよなく愛し、大阪にこだわり続けた作家だった。

道頓堀、法善寺、千日前など、みなみの盛り場を彷徨いながら、

織田作は大阪の庶民の暮らしを生き生きと描いた。

道頓堀通りの日本橋近くにあるおでんの店、たこ梅。
古い、趣きのある店構え。たこの甘露煮がうまい。
 柳吉はうまい物に掛けると眼がなくて、「うまいもん屋」へ屡々蝶子を連れて行った。彼に言わせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限るそうで、それも一流の店は駄目や、汚いことを言うようだが銭を捨てるだけの話、本真にうまいもん食いたかったら、「一ぺん俺の後へ随いて……」行くと、無論一流の店へははいらず、よくて高津の湯豆腐屋、下は夜店のドテ焼、粕饅頭から、戎橋筋そごう横「しる市」のどじょう汁と皮鯨汁、道頓堀相合橋東詰「出雲屋」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭」の関東煮、千日前常盤座横「寿司捨」の鉄火巻と鯛の皮の酢味噌、その向い「だるまや」のかやく飯と粕じるなどで、何れも銭のかからぬいわば下手もの料理ばかりであった。……
 織田作之助は大阪市天王寺区上汐町の仕出し屋の息子として大正2年(1913)に生まれた。旧制第三高等学校に入学するが、病気と無頼な生活のため、5年間在学ののち、退学。昭和15年(1940)『夫婦善哉』により新進作家としてデビュー。
 戦後、堰を切ったように作品を発表、太宰治、坂口安吾らとともに無頼派と呼ばれ、一躍文壇の寵児となった。『土曜夫人』を新聞に連載中、喀血して倒れ、33歳で亡くなる。
 小説『夫婦善哉』は、大阪の安化粧品問屋の息子で妻子もある柳吉という意志薄弱のぼんぼんと、曾根崎新地の元売れっ子芸者の蝶子という、しっかり者の流転の物語。女主人公蝶子のモデルは作之助の二番目の姉の千代であるといわれる。
 「オダサク」こと織田作之助は、大阪を愛し、大阪という地にこだわり、大阪の庶民の生活を描き続けた作家だった。

 織田作之助が生まれたのは上町台地の一角、今の上汐町4丁目の日の丸湯横の路地の長屋。  『夫婦善哉』に登場する女主人公蝶子の両親が商う一銭天婦羅屋も、そんな路地の入口にある。材料の買出しへは黒門市場へ行く。
 蝶子は小学校を終えると、日本橋3丁目の古着屋へ女中奉公に出されるが、半年のちには、曾根崎新地のお茶屋へおちょぼ(芸者の下地ッ子)にやられる。17の歳になると蝶子は芸者になりたいと言い出し、愛嬌のある「はっさい(お転婆)」を売りに、売れっ子になった。
 蝶子と馴染みになるのが、梅田新道にある安化粧品問屋の息子、維康柳吉だ。
 うまいものに目がないという柳吉は、蝶子をいろいろな店に連れて行くが、柳吉に言わせると、北にはうまいもんを食わせる店はなく、うまいもんは何といっても南に限るということになる。
 柳吉が蝶子を連れて、出かけた店々は、とりもなおさず、織田作が通った、道頓堀、千日前界隈店々だ。

柳吉や蝶子が遊びに出かけるのは、
いつも道頓堀や千日前あたりの盛り場ときまっていた。
 大阪を代表する川のひとつ、道頓堀川。川の南の通りが道頓堀通だ。
 対岸の宗右衛門町がお茶屋や待合の町、そして道頓堀の南は、昔から浪花五座と呼ばれた芝居小屋の並んだ地だった。
 東から弁天座、角座、中座、浪花座と並び、櫓に芝居の看板をあげ、華やかに賑わったという。  現存の中座は、江戸時代に五軒の芝居小屋が並んでいた当時の面影をただひとつ残している劇場で、藤山寛美が率いた松竹新喜劇の本拠地。劇場の前には「笑輪加財の碑」と、明治時代に曾我廼家喜劇を完成させた「曾我廼家喜劇発祥之地の碑」が建っている。
 戎橋筋の東にある浪花座はかつての竹本座跡。竹本義太夫が近松門左衛門と人形浄瑠璃を始めた地で、入口近くに「人形浄瑠璃発祥の地の碑」がある。
 戎橋筋の西にある松竹座は、大正12年(1923)に建てられた、ネオ・ルネッサンス様式の名建築だ。昨年3月、正面の大アーチを残して改築し、新しい演劇専門劇場として蘇った。  「新世界に二軒、千日前に一軒、道頓堀に中座の向いと、相合橋東詰にそれぞれ一軒ずつある都合五軒の出雲屋の中でまむしのうまいのは相合橋東詰の奴や、……」
 相合橋東詰の店はもうないが、中座の向いには、今も鰻料理の「いづもや」が店を構えている。せいろにご飯とうなぎを入れて蒸した、せいろまむしが人気だ。
 相合橋筋を越して、道頓堀通をさらに東へ、日本橋手前に、おでんの店「たこ梅」が風情のあるたたずまいを見せている。
 柳吉がうまいという、「たこ梅」のたこはやわらかな甘露煮で、ここの名物料理になっている。
 道頓堀の太左衛門橋から、角座の西を南へ延びる南北の通りが千日前。江戸時代に刑場や火葬場だったところが、明治以降開発され楽天地ができ、大阪仁輪加や女義太夫、落語などの小屋が建ち、発展した。
 「楽天地横の自由軒」で、柳吉と蝶子は「玉子入りのライスカレー」を食べる。  「自由軒のラ、ラ、ライスカレーは御飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」と柳吉は言う。  明治時代から同じ場所にある洋食屋の自由軒、今も、プランタンなんばの裏手、国際劇場の隣にある。
 特製カレーのルーとご飯を混ぜ合せた、その上に生卵を落とすというスタイルの独特のもの。店内には、織田作之助の写真も飾られている。  自由軒の通りを東へ行ったところにある「だるまや」も「かやく飯と粕じる」がうまいと柳吉に言わせた店。おかずのいろいろを肴に、昼からもビールや酒を飲む客が多い。

金比羅堂と剣をかざした西向不動明王を祀る法善寺。
小さな境内に参詣客が絶えることがない。
 道頓堀から少し南へ入ったところにある「法善寺」。寛永14年(1637)創建された浄土宗の寺だ。小さな境内には、金比羅堂と剣をかざした西向不動明王が祀られている。  「水掛け不動さん」と親しまれ、柄杓で水を掛けられる不動は、全身余すところなく苔むしている。絶えず参詣客が訪れ、線香の煙が立ち込めて、独特の風情がある。  寺のすぐ脇にあるぜんざい屋が、小説の題名となっている「夫婦善哉」だ。  「法善寺境内の『めおとぜんざい』へ行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福人形が据えられ、その前に『めおとぜんざい』と書いた赤い大提燈がぶら下っているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。」  ここで出すぜんざいは、女夫の意味で、一人前で二つのお椀が出てくる。大きな赤い提燈がやはり目を引く。
法善寺の一本北の通りが法善寺横町。
細い石畳の路地に小さな店が軒を連ねている。

法善寺横町、正弁丹吾亭の前に建つ、織田作之助文学碑。
「行き暮れて ここが思案の 善哉かな」と刻まれている。

 寺の一本北の通りが法善寺横丁。細い石畳の路地に小料理屋が軒を連ね、水を打った石畳に何とも言えない情緒がある。」
 この横丁にある「正弁丹吾亭」の前には、作之助の文学碑がひっそりと建っている。
 「行き暮れてここが思案の善哉かな」
 早世した小説家が残した数多くの作品は、大阪のまちを舞台に描かれている。
 道頓堀、法善寺、千日前といった界隈では、そんな織田作の歩いたまちの情緒をいまも楽しむことができる。

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